フジワライズム
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■  第3回   ジェシカ・バルトギアン ・・・   vol.21   1998年1月

 1980年代になって、日本人の技術者達が続々海外に進出するようになり、中でもロスアンゼルスには、すでに100人近くの美容師がガンバっていました。その頃、友人の奥さんがメイクアップ・アーチスト(ヒロミ=現在、NYで超有名)として、面白いサロンで働いているというので会いに行ったら、そこはネイル・サロンで、にこやかに迎えてくれたおばさんがオーナーのジェシカさんでした。海外からの移住者の面倒をみてくれており、日系人のワックス専門の技術者(エイコ)も働いていました。訛の強い巻き舌の英語と人なつっこさが大変親しみやすく、好印象が残っています。
その後も、ニューヨーク、ヒューストン等の見本市で薬事関係にお強い元旦那様のビクターと精力的に販売する姿をちょくちょくお見かけしました。
 
 それから数年後(1985年)に、正式にジェシカ・ブランドが日本に上陸して、ネイル業界の夜明けを迎えた訳です。以来、ネイル冬の時代にも必ず来日されネイリストたちに常に刺激を与えてくれた功績は計り知れないものであります。

 ジェシカさんは、ルーマニア生まれで若くして移民としてアメリカに渡り、『美しい指先が女性の魅力を高める』をコンセプトにニューヨークで腕を磨き、1969年に西海岸に進出して、サンセット・ストリップのプラザにお店を出しました。ジェシカを有名にさせたのは、当時カリフォルニア州知事であったレーガンの奥さんがお客様になり、後にレーガンが大統領になった時、ファーストレディ、ナンシー・レーガンの専属、つまり、「ホワイトハウスのマニキュアリスト」としてもてはやされました。以来、いわゆるハリウッド系のお客様が多くなり、古くはロデオDRに美容室を持っていたバーブラ・ストライザンドから、マドンナに至るまで、とても華やかなサロン環境を維持しています。サロンは、高級住宅街が背後にあるハリウッドの丘の麓にあり、ブース数は、約20、スタッフ数は40人余り、レセプションのベテラン女史が仕切っており、何時行ってもブック(予約表)は、真っ黒になるほど、の大盛況ぶりです。

 多くのメーカーが続々と新しいシステムや新製品を出していく中で、頑固として独自のポリシーを誇り、ネイルケアの基本である、“お手入れ次第で美しく丈夫な爪を創れる”を『爪は生まれながらのものではなく、育む(CULTIVATE)ものである』と、表現しています。ジェシカさん曰くの「東洋人の爪は、人工爪に頼らなくても美しいフォームを保てる」は、コンテスト・ブーム以後の近未来の日本社会においては、とても力強い言葉となるでしょう。

<1998年1月記 原文>

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