協会の常任理事は総勢15名。その中に講師会所属のいわゆる「常任理事講師」が8名いらっしゃいます。皆さん協会創生期より「ネイルの健全的発展」にご尽力頂いた方ばかりです。その中で、いつも暖かい微笑みを絶やさず、脇役に徹している北村智恵さんをご紹介しましょう。
生まれは、北海道で美味しい毛蟹が捕れるところ。上京して最初に付いた仕事がコンピューター関連。近未来を予測して意気込んで初めたものの、ストレスから体調崩し、ついにドクターストップ。そこで今度は、機械ではなく、人と接する仕事にしようと選んだのが「エステティック」。これなら、自分も何時までも若々しく美しく居られるとマジに考え、これを支えに勉強続けて23年目。
「エステサロンのお客様は、顔や身体のお手入れは良くなさっていましたが、手先・足先を疎かにしているのが少々気になっていました。多くの方が、ポイント風の爪形で、キューティクルもそのまま、どんな高価な指輪をしていても<ウ〜ン>と唸ってしまう様な無造作なカラーリング。何とかならないものかと、思ってました」と、その時。勤務先(都心の超高級サロン)で、ボディマッサージの責任者になるか、新設のネイル責任者になるかの選択があり、思案の結果、ボディはかぼそい身体では、体力的に無理になると云うことで、本格的にネイルを勉強することになったそうです。
始めてお会いしたのは丁度その頃。とても一生懸命に技術トレをするスレンダーな子という印象。講師に抜擢され、協会の<テキスト><教本>制作、<ネイルショー>出演等、若手講師のお姉さん役としてメンバーを引張ってくれました。
当時の事を聞くと「1人暮らしの私の家に、みんなが数日間泊まり込んで必死でイベントの準備をした事。大阪のナイトセミナーの時、柳沢事務局長の引率で、水野先生のサロン訪問や、神戸見物などがとても楽しい思い出です」と振返ってた。
ご結婚して、メロス化学社長夫人としてカムバックした時、その変貌ぶりには皆んな「目がテン」。
ご本人曰く「20キロ増えました」とのこと。昔を知らない人のために、当時の写真を左に掲載。
現在は、「ジェシカ・ネイル・カレッジ学院長」として、新岡潤子さんと共に、ジェシカの技術を継承して居ます。アメリカン・ネイルを初めて上陸させたジェシカ・バルトキアンさんの功績はとても大きい、そのポリシーとカレッジについて語ってもらった「ジェシカは、普段はとてもユニークで、優しい姉御、しかしことネイルケアに関しては、頑固一徹の職人になります。自分のポリシーをしっかり持ち世界に伝え続けている尊敬できる素敵な女性です。 カレッジでは、シッカリと目の届く範囲で「健康で美しい手と爪を作る手入れ」を重要視した教育方針で指導しています。キャッチフレーズは<美しい爪は、生まれながらのモノではなく、ケアにより育てていくモノです>」静かに浸透中のネイルケア。その普及率が文化のバロメーターとなる日もそう遠くではなさそう。
北村さんは「ネイリスト」はもとより「エステティシャン」としての技術は超一流。ハンドテクニックは高く評価されていました。それと共に、エステティシャンとしてのお客様への心遣い、癒しのスキルは高く「ネイリストは、直接お客様の肌に触れ、手を取っておこないます、スキンシップあふれる仕事です、やさしく、丁寧に・・決して<モノ>を扱うようにして欲しくありません、必ず、技術者の感情はお客様に伝わります」と云う。これはジェシカイズムに通じるものがあり、協会本来の基本テーマです。更に「華やかな技術に目がいき、やりたい気持ちも理解できますが、基本になるネイルケアを決して疎かにしないでもう少し勉強して下さい、技術の如何で爪の状態は良くも悪くもなります」と、後輩達に力強く語った。
協会の事務局は、長い間「メロス化学」に居候させて頂いておりました。当初は社内一角に机を一つ借りしてスタート致しましたので、大家の女将さん(?)としては、見るに見かねて、電話の取り次ぎから、事務処理、FAX・コピーに至るまで、随分長い間助けてもらいました。現在もイヤな顔ひとつせず、協会事務を支えて頂いています。
これも北村さんの優しい人柄と心の現れでしょう。
その事務局は、創立18年を期に独立して8月下旬に「永田町」へ移転します。メロス化学の皆様、長い間本当に有難うございました。感謝致します。
協会は新たな環境にて、さらなる社会的認知への道を模索して、チャレンジを続けてます。
<2002年7月記 原文>